たから十間通り

たから通りと、十間橋通りが交差しているたから十間通り。この先に進むと明治通りに、指し当たる道路です。反対の道に行くと、中居堀りの交差点になります。ちなみに左側たから通りを交差する京島二丁目と三丁目で、右側が文化三丁目地域です。

昭和の時代は、行商人が行き交う街並みでした

子供のころの話になりますが、この辺りで行商人がいろいろと、商売をしていました。当時は、チリンチリンと鳴らしながら、熱々に煮たおでん屋さんがリヤカーで好きな、おでん種をどんぶりや片手鍋に入れて、買えました。その他にも、たーけーや竿立ての声で、竿屋さん。千葉県から野菜などを沢山担いで、朝に売りにくる田舎のおばちゃん。軽自動車でいーしーやーきー芋、おいもの石焼芋屋さん。トイレットペーパーと交換してくれる古紙行商人。チャルメラでも有名な夜泣きラーメン屋。げーんまいぱんのほやほやの掛け声で、玄米パン屋さんなど。これらは、昭和時代の終わりと共に見かけなくなってきました。また平成の中頃まで、忘れてはならない打ち木を両手にしながら、皆さんが寝静まるころカチカチとたたく音に、火の用心の呼び掛け声はなくとも、街の中を毎日絶え間なく回り歩いてくれたおじちゃん。今でも生き残って、販売自動車で商売できている石油屋さんか、どんなものでも回収いたしますで、お馴染みのリサイクル資源回収業くらいでしょうか。

街の風景も変わりゆく、今日このごろ

墨田区の京島は、東京スカイツリーのふもとにあるところです。震災などあった地域ながらも、西暦2000年ごろまでは長屋も多くあった。東京で災害が起きたら安全でないワースト10位くらいまでに、入ってしまうそうです。今でも墨田区でみると、そうした地域にワースト10位にいくつか、京島も含めて入ってしまうところも、あります。スカイツリー周辺を少し離れたところでも、昭和の半ばに建てられた商店跡もあって、数は少なくなってきましたが、そんななかでボクは育ってきました。街の古さがそう感じしないで共に生きてきて、You Tubeで1990年ごろの動画をみる。もう既に古い街並みの中で、平和ボケに育ってきたのだなと、思い起こされます。まだ平成の前半までは、長屋で店をやっていたところも、ありました。

長屋の住まいも消えていく街並み

戦前せんぜんからの木造もくぞう住宅じゅうたくおおくありましたが、かけてきた時代じだいながれてきたこともあって急速きゅうそくに、変化へんかしてきています。いたるところに、こうした長屋ながや風景ふうけい下町したまち人情にんじょうなところが、撮影さつえいのロケになることもおおかった。いまでも豆腐屋とうふやさんの看板かんばんはありますが、ならびに中華ちゅうか料理屋りょうりやさん、駄菓子屋だがしやさんがありました。ご近所きんじょのところだったので、おいしい小麦粉こむぎことカレーあぶらいためているかおりが、ボクがおさないころから料理りょうり目覚めざめさせてくれたおみせでも、ありました。また、近くの蕎麦屋そばやさんのカレーもおいしくあって、どちらも料理りょうり興味きょうみたせてくれたお店です。また、京島きょうじまは、駄菓子屋だがしやさんが多くありましたが、一代いちだいだけでみせめてしまったみせもあった様子ようすです。もちろん、まだつづけている名物めいぶつおばちゃんが、やっている駄菓子屋だがしやもマンモス公園こうえんちかくに、あります。

京島一丁目にある電気湯

京島一丁目にあります電気湯

むかし幼かった中学生までのころ、電気湯の銭湯を親父と一緒に連れて、いってもらっていました。それも自分一人で、行けるようになった小学高学年くらいになれば、行っていましたけどね。お風呂やさんなのでキレイさっぱり、カラダを洗い流すはもちろんのこと。他に楽しみなことがあって、当時は家庭ゲームもなかったころ、インベーダーゲーム、ドンキーコングなどのゲーム機が、定期的に入れ替わりであって、良くいきました。また今ではクーラも一般家庭にありますが、そのころの夏には涼みに、風呂から上がっての楽しみのところでした。なぜ、電気湯という銭湯になったのかと知るところでは、公園を挟んで隣が電気屋さんがあるからの、由来になっているそうです。お風呂やさんに、ゲーム機などあるところも珍しいことでは、ありませんでした。

四ッ目通りから明治通りまでの区間、京島周辺の道路幅を拡張する予定だとか。

すでに道路幅を、拡張するために以前からあった建物を奥に立て直しが、進められてきている。こうした風景も数年後には、今よりも様変わりしてくることでしょう。

曳舟川通りと明治通りが交わる横断歩道

曳舟川通りと明治通りが交差する横断歩道

とても交通量も時間帯問わず、多くクルマが通るところです。奥右中央の角が、京島一丁目端。前方に進む明治通りですが、電柱を地中下の計画もあるらしいことで、道路も拡張していくとか。むかし懐かしい風景も変化していく街になってきている。

一日駐車代600円!

安いですよね!いつもは気にしないことですが、ちょっと帰り道を脇見して発見したので、皆さんに知らせたくなりました。京島のたから通り田中化粧品屋沿いを目印に、曲がったところにありました。

一日駐車場代600円

昔、懐かしいパン屋さんの店

久々に雨降っていましたが、たちばな通り商店街に夕方、立ち寄ってみました。このパリドール正盛堂のパン屋さんは、何店舗も区内外にもあって、京島一丁目に本店がありました。どれも美味しいパンのものばかりでした。そのなかでもフレンチトーストのように、斜めにスライスしたフランスパンを、程よくラム酒を使い香ばしく焼き上げた4枚入ったものが、お好みでした。また、チーズやサラミが入っていたフランスパンも、パンの香ばしさと、ちょっと得した気持ちにもなって、美味しかったことを、今でも覚えています。街なかにコンビニが出始めた頃からだったか、パリドール正盛堂のお店そのものが、どこも消えてしまった記憶だけが残っています。一度でも食べたことある人なら、今でも皆さんの思い出のなかに、愛したパン屋さんでしたとあるはずです。

明治通りのガード上に、京成押上線が通る

すでに開通した京成押上線のガードには、OK(オーケー)ストアやくすりの福太郎や餃子の王将、保育施設など開設されています。また、明治通りは、昼夜関係なく交通量の多い道路で知られています。京島沿いの明治通りも例外ではなく、踏切があったときよりは幾分、渋滞緩和になりました。

明治通りの上を、京成押上線が通る

ポンプ式汲み上げる路地尊

雨水を貯蔵して、花だんに水を撒くためなどのポンプ式で、水を汲み上げる生活用水。木造住宅が多い地域ですので、防火用水を目的に区内の各地に設置してきた。最近では主に、地面に撒いたりする用途などに、使われるようになった。また、外にタンクを設置するタイプのものもあったが、最近見かけなくなってきている。地域の特性として今でも、当たり前にある井戸水を利用する文化は、顕在しているようすです。

京島南公園

昭和46年ごろに、設立された京島南公園は、別名マンモス公園。当時は、夕方になると紙芝居を読んでくれるおじさんが、自転車で来てソースせんべい、動物をかたどったりした水飴。子どもたちの小遣いで買えるお菓子を売りながら、集まった子どもたちに、紙芝居をを読んで聞かせてくれた公園でも、知られています。建物にすると3階に相当する約10メートルの滑り台が、今でも子供たちの遊び場として利用している公園です。もちろん公園なので、砂場やブランコもあります。また、普通の滑り台もあるところも、特徴ではないでしょうか。平成の半ばには、出入り口付近にスロープと車椅子の方でも、利用できるトイレが設置されました。

京島のスクランブル交差点

京島のスクランブル交差点

このスクランブル交差点は、京島1〜3丁目の分岐点になるところです。かつては、昭和三十数年に施工されて、のちにモデルとした渋谷の交差点のところとも、言われがあります。また、東京スカイツリーまでの距離はここから、およそ800〜1キロメートル先にあります。