東武曳舟駅

曳舟川通りを挟んだ向こう側になりますが、複合施設になっていて救急指定の東京曳舟病院も併設されています。また、エキアの商店街には東武ストアや、大阪王将、天丼てんや、ドラッグストアなど、名店も入っています。テイクアウトできる店はもちろん、飲食店の中で食事できるようにも、なっています。東武曳舟駅昔は、東武飯店とボーリング場があって、屋上にボーリングのピンがオブジェクトで飾られていました。以前の建物形状のときには、東武飯店のあと改築が行われ、惣菜屋さんが入って駅利用の方、通行の方々にも便利に買える店がありました。また、同じ区内に長年に渡って救急指定の白鬚橋病院を、現在の曳舟駅があるところに、移転してきました。

イトーヨーカドー曳舟店

駐車場も完備されている墨田区に、一つのイトーヨーカドー曳舟店。地下が食料品売り場になっていて、いろいろな品揃え。また、一階は銘品店やフードコート、美のガーデンなど。上階では、日常品、生活雑貨、電気製品、ファッション等々。

東京新聞:<新型コロナ>緊急事態の業務停止 休業手当の義務、対象外 厚労省見解:経済(TOKYO Web)転載

QB-HOUSEで散髪

イトーヨーカドー曳舟店2FのQB-HOUSEに立ち寄って、散髪してもらいました。散髪だけの店で、カット1,200円で10分なのですが、お客さんの込具合によっては待つことも、当たり前です。空いていてスグに散髪してくれるようなことあったら、ラッキーですね。また、混雑状況を天井に取り付けてある3段階の緑・黄・赤ランプでも、わかるようになっていますね。

マンモス公園の桜が絶景

花見をするなら、ココも今の時期は良いですね。10メートルある滑り台で知られている京島南公園ですが、別名をマンモス公園。大きな滑り台の下が、トンネルになっていますね。桜が咲いている季節に、通ることがあまりなかったので、これほど見どころになる桜をみれるとは、感激です。一本だけではかなく、3か4本は咲いていました。

昭和の時代は、行商人が行き交う街並みでした

子供のころの話になりますが、この辺りで行商人がいろいろと、商売をしていました。当時は、チリンチリンと鳴らしながら、熱々に煮たおでん屋さんがリヤカーで好きな、おでん種をどんぶりや片手鍋に入れて、買えました。その他にも、たーけーや竿立ての声で、竿屋さん。千葉県から野菜などを沢山担いで、朝に売りにくる田舎のおばちゃん。軽自動車でいーしーやーきー芋、おいもの石焼芋屋さん。トイレットペーパーと交換してくれる古紙行商人。チャルメラでも有名な夜泣きラーメン屋。げーんまいぱんのほやほやの掛け声で、玄米パン屋さんなど。これらは、昭和時代の終わりと共に見かけなくなってきました。また平成の中頃まで、忘れてはならない打ち木を両手にしながら、皆さんが寝静まるころカチカチとたたく音に、火の用心の呼び掛け声はなくとも、街の中を毎日絶え間なく回り歩いてくれたおじちゃん。今でも生き残って、販売自動車で商売できている石油屋さんか、どんなものでも回収いたしますで、お馴染みのリサイクル資源回収業くらいでしょうか。

京島西公園

さくらさいいていたので、写真しゃしんおさめてみました。京島きょうじま公園こうえんさくらをみるところなら、ココ。スペースてきいていたら、花見はなみながらゴミはかえりで、食事しょくじもできますね。また、あさのラジオ体操たいそうもやっているようですが、その時間じかんそとたりしていないがれば、三文さんもんとくにもなりますね。公園こうえんなので、遊具ゆうぐもありますので普通ふつう子供こどもさんたちも、あそびにます。

言葉の難しさを感じる…。

このブログをつうじて、以前いぜんいた内容ないよう記事きじ見返みかえしてみて、”すべ手入ていれできなかった”という文言もんごん使つかって投稿とうこうしたことがありました。100%できなかったのではなく、手入ていれをしてみたけどもできなかったところが、すこのこってしまった。このように記事きじにしたかったことなのに、自分じぶんなりにはいとおもっていた。しかし、ほかかたおな内容ないようのものをんでみたときに、「まったくできなかったのね」と、められても仕方しかたがない表現ひょうげんかたに、なってしまっていました。

街の風景も変わりゆく、今日このごろ

墨田区の京島は、東京スカイツリーのふもとにあるところです。震災などあった地域ながらも、西暦2000年ごろまでは長屋も多くあった。東京で災害が起きたら安全でないワースト10位くらいまでに、入ってしまうそうです。今でも墨田区でみると、そうした地域にワースト10位にいくつか、京島も含めて入ってしまうところも、あります。スカイツリー周辺を少し離れたところでも、昭和の半ばに建てられた商店跡もあって、数は少なくなってきましたが、そんななかでボクは育ってきました。街の古さがそう感じしないで共に生きてきて、You Tubeで1990年ごろの動画をみる。もう既に古い街並みの中で、平和ボケに育ってきたのだなと、思い起こされます。まだ平成の前半までは、長屋で店をやっていたところも、ありました。

長屋の住まいも消えていく街並み

戦前せんぜんからの木造もくぞう住宅じゅうたくおおくありましたが、かけてきた時代じだいながれてきたこともあって急速きゅうそくに、変化へんかしてきています。いたるところに、こうした長屋ながや風景ふうけい下町したまち人情にんじょうなところが、撮影さつえいのロケになることもおおかった。いまでも豆腐屋とうふやさんの看板かんばんはありますが、ならびに中華ちゅうか料理屋りょうりやさん、駄菓子屋だがしやさんがありました。ご近所きんじょのところだったので、おいしい小麦粉こむぎことカレーあぶらいためているかおりが、ボクがおさないころから料理りょうり目覚めざめさせてくれたおみせでも、ありました。また、近くの蕎麦屋そばやさんのカレーもおいしくあって、どちらも料理りょうり興味きょうみたせてくれたお店です。また、京島きょうじまは、駄菓子屋だがしやさんが多くありましたが、一代いちだいだけでみせめてしまったみせもあった様子ようすです。もちろん、まだつづけている名物めいぶつおばちゃんが、やっている駄菓子屋だがしやもマンモス公園こうえんちかくに、あります。

京成線曳舟駅前のくすりの福太郎

京成線曳舟駅前ガードしたに、くすりの福太郎があります。また曳舟駅前周辺には、曳舟文化センターを挟んで、もう1店舗あります。どちらも店員さんは、親切にクスリの相談にも、対応してくれます。

裏路地2丁目の探索

この先は、押上方向に東武亀戸線の踏切が、あります。踏切手前まだ、ボクが中学生の頃までは酒店やたこ焼き屋、餃子屋さんがあって、活気もありました。当時は学校を終えた午後、おやつにたこ焼きを買って、姉と一緒に食べたこともありました。餃子屋さんの思い出は、家族みんないたころ「ここの餃子が美味しいね」なんて会話しながら、買ってきた餃子をおかずに、ご飯を食べたことも、よくありました。